環境問題”プラスチックゴミ”は人類の簡便さを見直すことでは?

環境問題は人が便利さを優先した結果

例えば“ペットボトル飲料”は私が高校生ごろにはありませんでした。ジュースでもコーラでも“ビン”でしたので、どの家庭でも“栓抜き”がありました。運動会や遠足でも水筒にお茶を入れて持参することが当たり前のことでしたので、プラスチックゴミが出ることもありませんでしたよね。

現在は“流通”や“冷凍の技術”の目覚ましい発達のお陰で消費者にとっては本当に便利な時代になりました。
反面、肉屋、魚屋、八百屋などの専門店が減少して、一軒で何でも揃うスーパーが主流となりました。
客が持ち帰りに便利なように、ビニールやプラスチックにパッケージされた野菜、プラスチックや発泡スチロールの皿に盛られたお刺身や肉、ラップされたお惣菜などがズラリと並びます。買い物かごなどがなくても大丈夫、レジ袋までサービスされます。正に買い手にとっては至れり尽くせりの時代ですね。その恩恵に私たちは依存してきました。

出荷の様子

便利なプラスチック製品が“環境問題”の敵ではない!

ゴミを正しく“分別できない人”や、面倒と感じて“分別しない人”がいることが、環境汚染の原因だと私は考えています。決められたルール通りに処分したら、地球環境がこんなに最悪な状況になることはないでしょう。

後進国では分別に対しての認識が低く、環境の教育もままならないとか。各国の事情も様々だとは思いますが、それにしても人類が作って、使って、捨てたプラスチックのゴミに、これ以上、自然界が汚染されることを止めなくていけません。

毎日のように見る分別表は大事ですね

“環境汚染”は身近な問題 マイクロプラスチックをほとんどの魚が食べている

様々な媒体で“環境汚染”について情報発信されているので、多くの皆様は知識を十分お持ちでしょう。

大きなプラスチックゴミも川から大海へ流れ、時間をかけてやがて、目に認識できないような微細なプラスチック破片へ変化していきます。それはそのままの状態で魚の体内に入るだけではなく、様々な化学物質がそれに吸着されて入り込むそうです。その魚を食べる人間にホルモン異常や癌の発生などが、引き起こされるということは、まんざら嘘ではなさそうです。

残留農薬や遺伝子組み換えで作られた野菜、“自然界ではありえない人工的に栄養素を加えられたエサ”を食べて育った、家畜たちの現状を知れば知るほど、人がしてきた行為に疑問を感じ、恐ろしく感じるのは私だけでしょうか?
様々なことを見聞きし、読むと、安心安全な食べ物を選ぶことはとても難しい時代になったと感じます。

私は海の幸に恵まれたところで育ちました。そのため魚介類が大好きです。今までは食べていた魚の内臓部分も避けるようになりました。貝類も心配で以前ほど口にはしていません。いろいろなことを知ると不安になりますね。いったい私たちは何を食べればいいのでしょうか。

皆様はどうなさっているのでしょう?

手作りの魚型の大皿に盛り付けたマグロの刺身

不便な時代の生活に、少しだけ戻してみませんか?

家電が発達して、家事も楽になりましたね。掃除機、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、IH,オーブンレンジ等々。家電がない時代は、お母さんたちはゆっくりする時間はなかったでしょう。

夕飯の買い物に行っても、「肉屋によって、八百屋によって、そうそうお豆腐屋さんにもよって・・」と歩き回りました。今のように奥さんが車を運転して颯爽と買い物なんて考えられませんでした。女性が免許を取る時代ではなかったですし、車は高価な買い物でしたから。
私が子供の頃は、食材の多くは、経木(きょうぎ)と呼ばれる木を薄く削った紙のようなもの(現在ではたこ焼きなどを入れる舟形の経木がそれである)に、肉や魚などの汁気のあるものをクルリと包み、それを別の薄い紙や新聞紙などに包み、輪ゴムでパチンと止めてくれました。

そんな昭和時代が懐かしい私です。

小学生の頃によく母からご近所の“卵屋”へ、お使いを頼まれました。
母の買い物かごを持って出かけます。お店の引き戸をがらがら・・と開けると、向こうの扉からおばさんがニコニコして出て来て

『裕子ちゃん、いらっしゃい。卵はいくつ欲しいのかね?』
『10個』
『ハイハイ、待っててよ』

と、ザルを持って鶏舎へ入っていきます。やがてザルに生みたての卵を入れて戻ると、机の上で丁寧に新聞紙を広げて、器用に10個の卵を包んでくれたものでした。
新聞の角あたりに1個置いて、新聞を1回折ってから、最初の両側に2個、両端を折ってから、また2個・・というように、綺麗に包んでいきます。その卵屋のおばさんの手元が面白くて、いつも熱心に眺めたものでした。

『裕子ちゃんは、卵は好き?』
『うん。』
『どうやって食べるのが好きなの?』
『いろいろ・・。朝は卵かけごはんにするの。』
『そう。じゃぁ、この大きい卵、1個おまけ!明日の朝、裕子ちゃんのごはんにかけて食べてね。』

と、おまけしてくれたことがとてもうれしくて、おまけの大きな1個を大事にそっとカゴに入れて帰ったっけ。60歳を過ぎた今でも思い出します。

いつの間にか、その卵屋はなくなりました。そして今は、スーパーの卵パックが主流になりました。

畑からの風景

「となりのトトロ」の時代背景は、幸せな時代への賛辞かもしれない

宮崎駿氏の「となりのトトロ」はちょうど私が子供の頃の記憶と重なる時代背景で、懐かしく思います。

役目を終えた新聞紙でも50年前は、様々な場面で活躍していました。きっちりと卵を包んだ新聞紙が思いのほか丈夫だったことも覚えています。

そんなことに気がつくと、今に比べれば不便だけれども、素朴な生活のほうが環境にやさしい。それが人類にとっても一番の幸せなのかも知れないと感じられてなりません。不便さも案外楽しいものかも知れませんよ。メイやサツキのように。

自前パックを持参なんて、どうでしょう?

さすがに、経木を使ってパッケージをすることには戻れませんが、買い物袋と併せて自前の“パック”持参で計り買いをするようにしたら、包装材の減少になるかも知れないと思っていますが、皆様はどう思いますか?

欧米の市場、マルシェでは計り売りのスタイルが残っていますし、自然に還る紙袋も日本より利用が多いように見受けます。持参パックがあっても良いかもしれません。

ちょっとだけ昔のスタイルに戻ると、プラスチック廃棄も減少するでしょう。環境にやさしい生活とは、どのようなものだと皆様は思いますか?

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