1958年生まれの私は3歳の頃にポリオ(小児麻痺)に感染しました。痛く辛い治療の記憶はほとんどありませんが、右腕の力が弱いのです。数年後にポリオワクチンが出来て、現在はポリオ根絶になりました。
父が渾身的に私の右腕をリハビリしてくれたおかげで、私は普通の人と同様に遜色なく生活が出来ています。実際の生活の中では右腕をかばい、重い物は左手を自然に使っています。すっかり自分自身がポリオ患者であったことを忘れて生活しています。それはありがたいことです。
「あれ?おかしいな・・、肩こりかな。」と、感じ始めたのは10月6日ころ。
ハッキリと日を覚えているのは、理由がありました。丹波は静岡で育った私には底冷えが辛い土地です。そのために私は毎年10月早めに室内を冬使用に整えることをしています。ちょうど10月5日に重たい家具や大きな絨毯などを動かしたりしたことから、左背中から首にかけての違和感は前日のせいか、いつもの肩こりが原因だと思っていました。
無病息災よりも何か一つ弱いところがある方(一病息災)が、普段から体調に気をつけるから結局は長生きをする人が多いということらしいのですね。そんなことから、私自身も決して身体に自信があるわけではないので、それなりに食事や運動に気をつけていたつもりでした。
毎日の忙しさにかまけて、自分の身体に無頓着だったことが禍しました。とうとう痛みが酷くなり眠れない日が続きました。夫のすすめで11月半ばの土曜日の晩、救急病院に向かいました。
そこで初めて自分自身の身体のことに目をつむっていたことに気がつきました。親から頂いた身体を粗末に扱っていました。心臓疾患を疑って心電図から始まって種々の検査をしました。その結果、「心臓は大丈夫」でして、先ずはほっとしました。
点滴で痛み止めをしてくださいましたが、痛みはそのままでかえって強く感じられるような気がします。
当直の内科の先生は、『もしかしたら頸椎炎かもしれないな・・』とポソッとつぶやいて、整形外科の先生と連絡をしてくださいました。レントゲンやら何やら・・長い時間をかけて、出た結論は「頸椎炎」!
整形外科の先生は「この薬は良く効きますよ」と10日分の痛み止めを出してくださり、帰宅しました。
しかし、効かない!痛い!眠れない!何も出来ない・・
お産のあの痛みにも「痛い!」とは言わなかった私です。それは母の教えを守ったからでしたが・・
その私が痛み止めを飲み続け、悶々と4日を過ごしました。あっという間に体重が減りそれも驚いたのですが、あまりの痛さに再び病院へかかりました。
このとき頭をよぎったのは、ポストポリオ症候群ではないかと言うことでした。内科の先生にはポリオのことは話しましたが、整形外科の先生からポストポリオ症候群という言葉は聞いていません。でも私の中ではきっと左側を酷使してきたんだという実感があります。
徐々に痛みが取れ始めたのが、それから2週間後くらいからか・・「リリカ」という強い痛み止めがよく効きました。
お薬「リリカ」のお陰で、徐々に痛みを忘れられるようになってきた私は、今度は産婦人科へお世話になることになりました。
この歳で産婦人科の待合室に座ることになるとは、想像したこともありませんでした。当然ながら妊婦さんがほとんどです。
診察の結果、「検査結果を待ちましょう」ということで、帰宅。
「もしかしたら癌かしら?あらまっ・・これは大変だわ。」
2週間後の検査結果が出るまでの間は、今後のことをあれこれ心配して、自分の身体のことよりも別のことが気がかりでした。
コロナ禍で癌治療をすることになると、家事はどうしましょう。そんなことを考えれば、夜も寝られません。万が一の場合に備えてしなくてはならないことが山積みではないですか。何よりも夫の日常が心配でどうしようもありません。
畑の世話も出荷もお休みして、2週間後の結果を聞きに行きました。結果は経過観察という診断でした。悪性でなかったことが何よりでしたが、一番最初に思ったことは「いつ何があるか分からないから、夫には普段から家事になれてもらおう。」ということと、「終い支度の開始」ということでした。
10月から12月まで、循環器内科、整形外科、産婦人科、歯科などなど、身体のメンテナンスに終始することになりました。
還暦になれば、身体のあちこちの部品もメンテナンスが必要になるのは必然かも知れません。
人生100年とは言うけれど、食事や運動だけでは補いきれない個々の遺伝や身体のクセも、皆が同様ではありませんからね。
この2ヶ月間で、身体が私の意思とは関係なく”終い支度”に向かっているのだと気がつきました。それはごく自然なことで、それに抗おうとは思いませんが、最後まで人に迷惑をかけないように惚けないよう、自助努力で綺麗に終わりたいと思います。
野菜のように自然に枯れて土に戻れれば倖せですね。
身体は枯れても、最後まで甘い実をつけながら・・・それが本望です。