野菜の力で健康を育む丹波暮らし

新しい家族、愛犬と一緒に”丹波で田舎くらし”

西宮から丹波へUターン、新しい家族“ワンコ”を迎える

15年前くらいであったか、テレビで見かけたある自動車メーカーの宣伝で美しい中型犬を見た時から、夫は定年退職して実家の丹波へ戻ったら、こんな犬を飼おうと決めていた。

もともと犬好きの私たち。早速、犬図鑑で調べてみるとドイツ犬のワイマラナーだと分かった。

説明によると「滑らかで均一なグレーの被毛、美しく貴族的な容姿が、この中型猟犬の際立った特徴である・・」と。写真の姿は誠に品が良い。

「これだ、これだ!2年後丹波へ帰ったら一戸建てだから、犬も飼えるだろう。」と、すっかり気に入り、夫婦で固く約束したのだった。

西宮市の門戸厄神近くのマンションから転居して、晴れて丹波の住人になった。早々と知り合いのペット店にワイマラナーを依頼したが、待てど暮らせど我が家に仔犬は来なかった。

“小型犬ブーム”の昨今では中型犬や大型犬は、タイミングが合わないと求める犬種は難しいとのことだった。

それから五年。
実のところは半分あきらめモードだった我が家に「仔犬が見つかったよ!」と連絡が入ったのは3月。

「ワーイ!待っていたよ!」家族で大喜びしたのは言うまでもない。折しも高齢の母に合わせて、家中をバリアフリーにリフォームしたばかりで、母は新しい生活に仔犬が来ることをとても楽しみにしていた。

サングラス!似合う?

ワンコ♂とご対面

ペット店と約束の日、三田市のペット店に夫とウキウキして出かけた。
店長に抱きかかえられて奥から出てきた仔犬は、2本の前足をピンと伸ばしたまま微塵も動かない。目は半眼でぼぉーとしているではないか。

店長さんは「お昼寝中だったので少し眠いのでしょう」と、明るくフォローしてくれたが、内心「大丈夫かいなこの子は?」といささか心配になったものだ。

生後2ヶ月で3キロの体重ということは、人の新生児位の重さになる。店長さんが青いバンダナを仔犬の首に巻いてくれている間も、なすがままのぼぉーとした状態。

空気穴のついた紙の箱にすっぽりと入って、助手席の私の膝にその箱を乗せた。

こうしてワンコは初めて丹波へやってきたのだが、そのドライブの間も私は気になり、穴から様子を見る。

しかし相変わらず、ウンともスンでもなく憮然と座ったまま一点を見つめて動かない。

車の振動に眠たくなったのか、ますます半眼の瞑想ポーズだ。

「ねえ貴方、この子、大丈夫かしらん?大人しすぎて心配だわね・・」
「いや~、この子はなかなか大物かも知れないな・・」

と、運転手の夫はつぶやく。早くも夫の“親ばかぶり”が発揮された。

命名「アデル」

丹波市は正午にエーデルワイスの曲が流れる。この曲はミュージカル映画で唄われた美しい名曲である。

夫はこのエーデルが「高貴な」という意味であることにヒントを得てドイツ語風に発音した「アデル」と命名した。

最初は「ワン」と言えなかった。「ぎゃわん、にゃわん!」と鳴くのがとても可愛くて、夫は夜疲れていても、まるで人間の子をあやすように抱っこしてゆらゆらさせていた。成人した子どもたちの代わりに、庇護し慈しむ対象だったのかも知れない。

ソファー独り占め アデル

しかしアデルは時間と共に体重が増えて、とうとう夫は立って抱っこすることが出来なくなった。

アデルの方は自分が成長したという感覚は薄いかも知れない。パパの両腕が狭くなったようには感じていただろう。

半年たつと顔も凛々しい大人顔になり、低音が響く貫禄ある声になっていた。一歳半にして体重はなんと三十キロ弱。アデルはすくすくと育ち、ポッチャリ犬になった。

いつまでも可愛い仔犬でいて欲しいと思ったのに、あっという間のスピードで大きくなったのだ。

畑を走り回る アデル

私たちが耕した畑は両親が米を作付けしていた土地である。丹波は粘土質の土壌なので、野菜を栽培するためには土壌改良しなければならない。

素人の私たちは大きな農機械もないため時間もかかる。コツコツと時間をかけて楽しみながら作業している。

その間も、アデルは走り回って畑で遊びまわり、私たちの目を楽しませてくれるのだ。アデルありがとうね!

母とアデルの交流

”葉っぱ取り”ごっこ大好き

「坊ちゃん犬」と言いたいような、おっとりしたアデルは八十歳を超えた母と一緒にソファに座り、まったりとテレビを見て過ごすことが多かった。

年々小さくなってきた母と、その背中の大きさは同じくらいである。

お日様の当たる窓辺で二人?が肩を並べて座っていると、アデルが段々に母に体重をかけて寄り添っていく時がある。

「アデル、お前がおばあちゃんを好いてくれるのは嬉しいけどねー、ちっとばっかし、重たいわねー」とほほ笑んだ光景が懐かしい。

背が曲がっていた母は、毎日リビングの床に新聞を広げて読んでいた。その姿勢が母の身体には楽だったようだ。

新聞を広げると、アデルも一緒になって新聞を覗き込むのだ。母が読んでいるその部分に、自分も前足を乗せて覗き込むものだから、

「アデル―!一緒に読んでもいいけどねぇ―、その前足の下を、今、おばあちゃんは読んでるの!ホレホレ、その手をのけて頂戴よ。ねぇー、裕子さん、これこれ、見てやってー」

これが日常の会話。笑顔の母をじっと見つめるアデルがいた。

母を看取って、久しい。

母の人生の終盤にアデルを家族に迎えることができて、本当にありがたかった。以前のマンションでは難しかったろう。丹波にUターンして本当に良かったと思う。

君はセラピードッグだね、アデル。

 

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