野菜の力で健康を育む丹波暮らし

母は大風を道連れにして逝った

母、逝く

静岡の実家から、母の容態が悪いと連絡が入ったのは7月2日の午後でした。急いで準備をして、明朝早い時間に丹波を出ました。

この日は数日前からの記録的な大雨が降り、近畿から雨雲を追うように走りに走り、ようやく東名高速道路に乗りましたが、三ヶ日の手前で高速が封鎖になり一般道路へと誘導されました。実家に向かう長い道のりの中で、大きな川を渡ります。どの川も水量が増して、流木が目立ち雨風の強さが想像できました。

焦る気持ちと裏腹に時間だけが過ぎて、結局は母の臨終には間に合うことが出来ませんでした。

折しも、この日は静岡熱海の土砂崩れの大災害が起こり、多くの犠牲者がありました。数ヶ月経った今でも、TVでショッキングな土砂崩れの映像を見るたびに、母に向かってひたすら走った時の、あの切なさや諦めの入り交じった心が思い出されます。この感情は生涯、この熱海の災害と共に記憶に残ると思います。

 

大風に乗って

悲しみは後から来るものだということは、父を亡くしたときにも経験していました。3ヶ月も経ったのに、昔の母とのあれこれを思い出している自分に気がつきます。ふっと淋しさがこみ上げます。

母は大いなる自然界がもたらした、大風と大雨を道連れにしたのかも・・と、思うようになりました。何事も真剣で熱心な母は、生涯にわたって素晴らしい仕事をしてきました。家族愛に溢れ、また、その人生もドラマチックな人でした。

『そうだよね、お母さん。あんな大風、大雨に魂を預けて逝くなんて、お母さんらしいドラマチックな終わり方かもね。94歳、あっぱれです!』

『でも、私を待っててくれないなんて、酷くない?』

『そっか、お父さんが待ってるからね。大風に乗らなくちゃ、早く逢えないもの。久しぶりの再会ですもの、積もる話もあるでしょう。2人でゆっくり休んで下さい。お父さん、お母さん、大好きだよ。』

 

光太郎の詩 「郊外の人に」

中学生の乙女だったころ、ドキドキしながら読みふけった詩に高村光太郎詩集がありました。「レモン哀歌」も好きだったけれど、「郊外の人に」の冒頭の文章に、強い憧れの想いで何度も暗唱したものでした。

 

「郊外の人に」

わがこころはいま 大風の如く君にむかへり

愛人よ

いまは青き魚の肌にしみたる寒き夜もふけ渡りたり

されば安らかに郊外の家に眠れかし

をさな児のまことこそ君のすべてなれ

あまり清く透きとほりたれば

これを見るもの皆あしきこころをすてけり

・・・・・・

 

母は父と出会った頃に遡って、大風の如く父にむかっていったのでしょう。

今、そう思いたい乙女の私がいます。

 

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