上流階級のお嬢様なら知らないが、子どもの頃から台所で働く母の横にいて、玉葱の皮むきやら、洗い上げなどの手伝いをしながら成長した女の子は、おしなべて「家事上手」「料理上手」だと私は思っている。
主婦業は「これで本日の仕事はパーフェクトに完了した!」なんてことは無いですよね。掃除、洗濯、料理、育児、介護もプロ並みのレベルを望まれては、これはこれで堪らないが、いろいろな”名もなき作業”が延々とあるにもかかわらず、それらは誰にでも出来ることとされる。主婦業はずいぶんと低く考えられてきたようだ。(対価も無く、残業手当も付かないなんて!)
昭和復興期から家電の発達で、家事も格段に楽になったことは確かだ。そのお陰か、そのせいかは分からないが、女性の社会進出も増えてきた。
少し前は”奥様”として家庭内に鎮座して、”夫”のお給料だけで上手に節約倹約し、悠々と貯蓄もする主婦層が多かったが、最近はお稽古事を優雅に楽しみながら専業主婦で居ることは、どうも難しい時代になってきた。
大量生産、大量消費の派手な生活スタイルの中では、夫のお給料のみで将来の蓄えにも憂うこと無く、優雅な生活をまかなうことが難しくなってきたからだ。
現在94歳になる母は保健師、美容師、保育士、看護師と転居のたびに次々と資格を取得したり、また資格を生かしたりしながら転勤族の父を助けて働いてきた。
「あっぱれ!」と娘の私も驚嘆する人生を送ってきた。
仕事帰りにスーパーに寄った母の頭の中は多分こんな感じだったろう。
『さぁ、バスの時間まであと20分・・・冷蔵庫には何が残っていたっけ?今夜の献立は?朝食は?お弁当は?・・アッ、そうそう裕子の服のボタンがとれていたなぁ・・』
能力ある仕事人には「柔軟な発想と判断力」「決断力と実行力そして責任感」等が求められるがこれは家事や料理する場合でも同じことだ。
母が仕事場から帰るやいなや、クルクルと家事をこなし、チャッチャッチャと手際よく料理した。その姿を見ながら成長した私は、母からとりたてて家事や料理を教わったことは無い。
でも私は嫁いだ日から普通に家事もこなし、チャッチャッチャとお惣菜を作っていた。ということは、”母を見て習うこと”をしていたことになる。料理学校にもいかず、料理のイロハを自然に身につけていたことはありがたかった。
大学時代から親元を離れ、就職し、いつか結婚してしまう私の子どもたちに、こんな経験を持たせることが出来ているのだろうか?少々心配である。
でも最近は料理本の種類も豊富で、便利なレシピツールもあるから、それらを駆使すれば結婚生活も何とかなるだろう・・・と思うしかないのかな。
子育てを一区切りしてから、私も長い間勤務してきた。家事と仕事の両立は苦労があったが、母の姿を見てきた娘は弱音を吐けなかったのだ。
そして在職中に多くの人たちとの関わりを通して、あることに気がつけた。
家事は終わりが無い連続作業。頭も身体も常に動かさなくてはならないということは分かっていたが、それはその人の「仕事への考え方や方法」にイコールしているらしいこと。
職場でのその人の仕事の仕方を見れば、その人が美味しい食事を作れるかどうかが分かるし、逆に食事から、その人が有能な職業人かどうかが判断できるということにもなる。男女差はあるかも知れませんが、生活技術に長けていることは、仕事も有能だということ。
『ヌカみそも脳みそも常にかき回していなければ、ダメになる』って!読んだことがある。なんて、上手いことを言うのでしょう!!
母のおかげで私は忙しい職業人時代でも、料理だけは人任せにはしたくないと思っていた。
家事や献立を考えながら過ごした長い期間は、複数の仕事を同時にこなさなければならない時だった。きっとこの間が、私が「有能な職業人」だった唯一の時だったかもしれない。
『男は美味しいご飯(豪華な食事とは限らない)があって、清潔な寝床と、ニッコリしてくれる女(不細工でも愛想が良い)の元に帰ってくるものだよ。』
これは母の口ぐせ。久しぶりに思い出した。