高校の国語が“実用文”重視の授業に変わり“小説、詩歌、評論が選択になる”と、新聞で知りました。心底、恐ろしい時代になったと感じました。国語は表現力でもあり、この国の基盤だと私は考えているからです。
勿論、実用文は生きていく上には欠かせない文章ではありますが、それが文学より重要視されることには、いささか疑問です。
ただでさえ子どもたちの活字離れを嘆いている状況なのに、文学の魅力を知る機会をこれ以上失ってはいけない、魅力を知らないまま大人になっては、長い人生が色あせてつまらない時間に変わってしまうかも・・と、本の虫は嘆きます。
私は小さいころから“本の虫”でした。学生時代の私の好奇心は、殆ど本によって満たされてきたと実感しています。物心ついたころから両親の仕事の関係で、一人でいる時間が多かった私は本が一番の友達でした。でも寂しく感じたことはありません。
小学校の木造校舎の図書室を今でも思い出します。図鑑から始まり、シャーロックホームズの冒険やSF物、例えば「海底2万マイル」などをワクワクしながら読み漁りました。床に友達と二人でしゃがみ込み、それぞれがその本の世界に入り込んでしまっていて、下校時間が過ぎてしまうことが度々だったと記憶しています。
夕日が図書室の床板の節穴にも当たり始めたことに気が付いて、友と慌てて下校したことは懐かしい思い出です。その友も故人となり、懐かしさを共有することはもうできませんが、私と彼女の愛おしい記憶です。
中学生の夏休みに読書感想文の課題のために、図書室の書架から厚い本を探して借りて帰った小説が、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」でした。自室に籠り夢中になって読みました。
今思えば、その感動が大きすぎて、正に私の人生を変えた一冊となりました。主人公のスカーレットの魅力もさることながら、登場人物達の魅力が粒だっていて、幼い私でも容易にアメリカの南北戦争時代へ引き込まれました。
図書館へ返却した後、自分のものにしたくて親にねだって買ってもらった“風と共に去りぬ 全2巻”は、嫁ぐ時も転居するときもずっと一緒です。
今は丹波の我が家でドッシリとその場所を獲得しています。
スカーレットと対照的な良妻賢母タイプの “メラニー”の素晴らしさは女性の理想像だし、その夫“アシュレ”はスカーレットの想い人ですが、品が良く常識的で、真面目な貴公子タイプ。他の多くの男性に言い寄られてもアシュレだけは、スカーレットには永遠に手の届かない存在です。
しかし、スカーレットの長所も短所も全部呑み込んで情熱を差し出した人が“レット・バトラー”です。キャー!口ひげが素敵!
13歳の夏、私はレッドに恋をしました。「私はきっとレットのような、無頼漢かも知れないけれど、賢くて情熱的な男性と結婚するんだわ。絶対に!」と固く心に決めたものでした。これが私の初恋です。
その硬い決心を忘れて・・夫は“アシュレ”タイプかも?(またまた手前みそです)
私の母校“町立大井川中学校”は道徳教育の指定校だったことが関係しているのかも知れませんが、今は少々ないがしろにされている「音楽・美術」などの芸術に熱心でした。
“創造の庭”と呼ばれる砂利の造形物(これは屋上からしか全体を眺望することが出来ない大規模なものでした)をクラスごとに作ったり、“クラスの歌”を作詞作曲して合唱で発表したり、一年に一度ですが、“プロの楽団”の名曲を聴いたり、“劇団四季や劇団たんぽぽ”なども招いて、生の舞台芸術を私たちに肌で感じさせてくれました。今思うと、とても贅沢な教育の恩恵に預かっていました。
そして私が初めて“職業”として憧れを感じた“司書”も図書室にいました。その方は静かな雰囲気の若い女性で、ロングヘアを後ろで一つに束ねた美しい方でした。私はその美しいお姉さんに憧れたのかも知れませんね。
図書館学があった大学へ進学を決めたのは、自然の流れでした。
静岡県内の公共図書館を出初めに、図書館勤務が始まりました。やりがいのある楽しい仕事で存分に活動しました。
関西に来てからは、丸善の仕事で神戸学院大学図書館や兵庫県立心のケアセンター資料室で勤務しました。丸善を退職して西宮市の聖和大学図書館へ、その後、聖和大学と法人合併した関西学院大学図書館の勤務となりました。
夫、博詞の定年退職に伴い丹波市へUターン後も、同市の図書館協議会委員として呼ばれたり、隣接する丹波篠山市の図書館アドバイザーにもご推薦をいただいたりと、次々とお声がかかり、私を必要として下さいました。
どの程度お役にたったのかは分かりませんが、思いがけない展開の連続で、私の人生は巡っていきました。
全ての仕事において、思いがけない方々の引立てやご支援があり、私は仕事運と人間関係に本当に恵まれたと思います。周囲の方々に心から感謝しています。
昨年度まで兵庫県立図書館協議会委員もさせていただいたことから、私自身もこれで図書館とのかかわりはフィニシュかな?と感じています。
公には図書館との関わりは役目を終えましたが、これからも一利用者として大いに図書館を必要としていくことでしょう。
長い図書館人生の間に、私は素敵な趣味を得ました。それは“蔵書票”です。世界中にコレクターも多く、本に張って持ち主を表すための小版画です。“紙の宝石”と言われています。
この蔵書票を通じて私は国内外に、世代や性別、キャリアを超えて、素晴らしい方々と知り合いました。そして交流が続いています。
私が学んだことは莫大で、蔵書票のことだけではなく、人生の向き合い方や生き様のお手本をたくさん見せて頂いています。これも長い図書館勤務ならではの恩恵だと感じます。
日本の図書館界は欧米と比べるとかなり低い地位です。欧米では地元の市長と図書館長は同等の地位で、館長の発言権も大きい。何故なら、図書館がその土地に商工業をもたらす知識や情報の“頭脳”の役割を大きく担っていることが、市民に認知されているからです。日本の図書館の利用の考え方とは異質であることが分かります。
知的好奇心を満たすことや娯楽のためだけではなく、ビジネスのヒントや情報を得るために図書館を使うことが、地元の図書館を育てることにもなります。私たちの血税で図書館運営がされていることに、皆様が気が付かなければなりません。
図書館を上手に使えば“まちおこしのヒント”は数え切れません。
そのために司書たちは“レファレンス”(調査のフォロー)の技術を磨くことで、利用者の調べものにスムーズに対応しようと頑張っているのですから。
“郷土資料の保存”は図書館が書店と大きく違う点です。
その街の郷土資料はそこの図書館が収集、整理、修理、保存をしなくてはなりません。けっして隣の町の図書館がやってくれるものではありません。
また収集は徹底的にやってこそ、その街の歴史や文化をかろうじて守れるものです。
家の代替わりが進む中で、廃棄される古文書の類は多いと指摘されています。廃棄したら後の祭りですね。
皆様も捨てる前に知識のある方に一度見ていただくことをお勧めします。
ベストセラーより、ロングセラーを大事にする考え方も必要ですね。昨今の読み捨てされるような本を購入するよりも、個人では購入できそうもない専門書の類や、時代を経ても利用される貴重書は、確実に図書館に所蔵して欲しいと思います。
5年後、10年後の一利用者のためにもコツコツと収集して欲しい書籍は、数多くあるのです。電子媒体は不安定なもの。やはり紙媒体が安心ですね。
ですが、どんなことでもセンスが大事です。どの情報をどの方法で、どのくらい収集するかは、館長の“選書センス”にかかっています。館長のレベルも問われてきますね。
成人しても図書館を利用したことのない方が多くいらっしゃいます。なんて勿体ないことでしょう。
必要とする情報が欲しかったら、先ずは図書館に問い合わせください。見つからなかったら、そのときは司書の出番です!“犬の洋服の作り方”でも、何でもです。
その図書館になくても相互貸借制度を利用して、近隣の図書館にあれば地元の図書館を通して無料で貸し出しができます。気軽に訊ねたらよいのです。
幼い頃から図書館へ出入りしている子は、図書館の敷居が低いもの。そんな子は成人しても物怖じせず、気楽に利用をします。一時期は遠のくことがあっても、「あっ!そうだ、仕事の関係書を図書館で探してみよう」と思うはずです。
幼いころから読書を通して様々な疑似経験を積んだ人間は、感情が豊かだと思いませんか?相手のことを思いやる客観的な心の使い方も知っていくでしょう。
自分の過去に思いを巡らしてみると、私は多くの文学に影響を受けてきたと感じます。主人公に自分を重ねて、旅をし、恋をし、友情や心の機微を教えてもらいました。自分が人生のヒロイン!その物語が秀作になるように、日々頑張ろうと思えます。
だからこそ文学に親しむ機会を、前途を担う高校生から奪わないでほしいと切に思います。私のように文学の恩恵を受けた人生をおくる者もいるのですから。
青少年たちには文学を必須にして欲しいと願うばかりです。皆様はどのようにお感じでしょうか。