植物に関わるようになってから、四季に敏感になりました。
頭では分かっていたと思うことでも、経験してみると改めて感動することが多くて新鮮です。自然を相手に過ごすことによって、自分の生活が色濃く、豊かに過ごせているように感じています。とっても幸せです。
素人農業の楽しみ、その一つが採種です。ここ数年チャレンジしています。
特に今年はディル、ヒマワリの種が沢山とれたので、子どものように喜んでいます。
ヒマワリの種はまるまる一輪をネットに入れていくつか、出荷してみたところ・・売れちゃいました。
『毎度ありがとうございます!』
ディスプレイ用なのか、来年の播種用か、はたまたペットのエサ用かは分かりませんが、需要があって良かったです。
それでも残った花から大量に種がとれましたので、来年用に少量取り置きして、あとは近所の幼小中学校へ差し上げたり、お好きな方がいたらもらって頂こうかと思っています。
小さなディルの種は、茎やゴミを取る作業が大変ですが、播種用と料理用に2分してすべて活用します。
ディルシードの入ったパンを焼くのが楽しみです。
採種は手間がかかる作業ではありますが、この行為を人類が気が遠くなるほど、繰り返して農作物を育ててきたのだと考えると、崇高な行為に感じてきます。
この作業は、自家栽培をする者の楽しみであり、権利でもあると思っていましたが、どうもそんなに単純な事でもなさそうです。
素人農業を始めてから、ようやく「F1」(エフワン)の存在を知った私です。
F1とは一代交配しか出来ない、採種できない植物です。
栽培しやすくするためや、味や色、大きさ、形など人間好みに改良を重ねてきた歴史がありますが、その種の権利を改良した者(会社)に与える為の人工的な遺伝子操作がF1です。
大昔から自分で育てた植物の種は、その人が自由に採り、次のシーズンに備えて保管し、播種するという行為を世界中でくりかえしてきました。
そのおかげで、在来種や固定種といった、昔ながらに先祖たちが食べてきたものを、私たちも口にすることが出来ています。
しかし、その在来種と言われる種でも新しく品種改良されたものとが、偶然に自然交配される場合があり、徐々に遺伝子が変ってきている種もあるそうなのです。単純に種を繋げていくといっても、一様にはいかず難しいのですね。
一般人は環境の変化・自然災害・戦争などによって、食べている植物の種がものすごいスピードで絶滅しているということを、知らずに過ごしています。私たち人類が気がつかないところに、大きな落とし穴があったのです。
世界中のどこかで繰り返されている戦争などで、貴重な野菜の種が爆撃などで消滅し、昨今の異常気象で種が絶滅してしまったらしいのです。この100年間でも、農作物の4分の3の種が失われたといわれています。
このことに危機感を覚えた人類は、世界中に1700ものシードバンクを作って種の保存を始めています。いわば植物のための「ノアの箱舟」です。
これが世界の終末に備えるためのプロジェクトだということを知り、私は怖くなりました。のんきに食べて、好き放題に貪ってきた自分の姿が愚かしいと感じます。
2008年、種子収集家のベント・スコフマンド氏が唱え、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏が主導して、北極から1300㎞の場所に「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」が建てられ操業されています。世界の40カ国以上の協力を得て活動しています。日本からは味噌用の大豆が入っているそうです。
海抜60mに横長のトンネル120mが掘られていて、永久凍土層が頑強に守っています。核爆弾が落ちても大丈夫なほどの強さだとか。人類はすごいものが作れるのですね。
ここでは、1種類の種子500粒を基本として収集し、5年ごとに発芽試験し、20年間で入れ替えるという作業を繰り返しています。現在はまだ50万種ほどで、まだまだ保存可能なスペースがあるそうです。
私たちは野菜を食べなくては生きていけません。
非常事態の場合に備えて、未来の人類のための食べ物を守っていかなくてはなりませんね。
しかしながら、このノアの箱舟が漂流しないようにも願いますね。
種苗法は植物の新品種を開発した人が、それを利用する権利を独占できると定めた法律です。
ただし、農家が利用するのは良くて、自由に自家採種して良いとされてきました。しかし改定されて、その条項を削り、農家であっても登録品種を無断で栽培してはいけないことになりました。日本の種を海外にとられたくないというための制限のようではありますが、これはどうなのでしょう?
新品種は常に「種を買う」行為でしか、栽培出来なくなるのではないかしら?
伝統的な在来品種なら自家採種して良いといわれても、古くからある「在来品種」の定義は誰がどこで決めているのでしょう?
私は専門家ではないので、詳細はわかりませんが少し腑に落ちない印象がしています。
品種改良したF1ばかりを農家が作り続けていけば、在来種が徐々に減っていきます。災害が起きた場合、同じ性質を持つものは同時期にダメになり被害拡大につながります。ですからいろいろな遺伝をもった野菜の種類が、多ければ多いほどリスクが軽くなりますね。
海外の地方マーケットでは、ご当地のお野菜が量り売りされている光景が多く見られますね。そこの土地に行かなくては食べられないものばかりが売られています。これが本来の食のあり方ではないかしら?
日本では全国一斉に同一の種ばかりが販売され栽培されています。ですから災害に弱いですよね。在来種は姿がイマイチでも、環境の変化に強いものが種を残して生きているものです。
各地域の在来種は地域農家とその地域にとって、そこの食文化の要(かなめ)ですよね。私はそう思っています。もっと地元の野菜を守るべきだと思います。
そのためには在来種を調査し、収集し、保存し、継承していく方法を真剣に考えることが、今、必要なのでは?
もうそんなこと、完了してるのかしらん?
食物は地産地消が最高です。
お取り寄せもそれはそれで良いのですが、流通にかかるコストやエネルギー、時間による鮮度の劣化を考えるとどうでしょうか?
曲がっていても味の良いキュウリや、赤く熟してから収穫したトマトは流通に乗せにくいですが、地産地消ならOKです。このような絶品の野菜を口にしてしまうと、その味を脳が覚えているものです。
自分でも驚いたのですが、農薬や化学肥料をふんだんに使って栽培した野菜は、食べれば直ぐに分かります。2度と食べたくないと脳が拒否するようになります。
やはり自然農法で太陽をしっかりと浴びて育った路地野菜は、おいしいぞ!と、身体が自然と教えてくれます。
私たちが野菜からいただく恵みは、はかりしれません。
一時は浴びるようにサプリメントを摂取していた私ですが、今はいらない!
毎日毎日、何気なく食べている食物が、未来の自分を作っています。医食同源とは素晴らしい熟語です。食べ物が薬にもなり、毒にもなることを私たちは忘れてはいけません。遺伝子組み換え食品を食べ続けた結果は、まだ分かりませんので・・お気をつけあそばせ。
種のこと、つらつらと書き綴ってしまいました・・
でも待てよ、今日買ってきた聖護院大根はニュージーランド産、紅芯大根はイタリア産、他にもフランス産、アメリカ産・・、日本の種会社が扱っているものでも外国の種が主流だなぁ・・?
???・・また種のことを考えている私です。