夫婦で晩酌を楽しむことを知っている子どもが「梅と鶯」の酒器を送ってくれているのです。春浅く、寒い晩は酒器の梅柄を愛でながら、二人で熱燗を楽しみます。これぞ、人生の愉しみだと思いませんか。
さて、この酒器セットは面白くて、遊びながら盃を重ねます。
徳利を盃へ傾けると「ピーチッチ・・・」と小鳥の鳴くような音が徳利から聞こえ、盃を口に運びそっと啜ると「ヒュールルル・・」と盃が鳴くので、なかなかに趣向があります。
晩酌を楽しみながら、夫に問いました。
「ねぇ、貴方。白梅と紅梅と、どちらが好き?」
「白梅かな・・」
「どうして?」
「冬を耐えて静かに咲く清楚な感じが、白に象徴されるような気がするから・・」
「な~るほどねぇ・・」
成る程、夫ならそうかも知れないと思いました。
でも、ポチッと紅い梅も可憐で、私は夫と別の理由で紅梅が好きかもしれません。和服柄には古典模様の白梅紅梅図が良く描かれます。どちらかというと若い女性用の反物に、大きく描かれていることが多くて瑞々しく紅い花が、装う女性を華やかに演出しますね。
年配の反物には花というよりも、梅の木全体の柄があしらわれる場合が多いように感じます。梅の木特有の枝ぶりで風格を表現されますね。
最近の反物には抽象的な柄が多くて、私は苦手です。伝統的な古典柄を纏う女性を好ましく感じるのは、私が和裁技能士で、柄合わせが好きだったせいかも知れません。
梅の時期になると思い出すことがあります。
静岡西部にある丸子町に、臨済宗妙心寺派「柴屋寺」(さいおくじ)があります。
その峰から上る美しい月の風景で知られ、この地の山は「吐月峰」(とげっぽう)と命名されています。
昔はこの竹林から作った「灰吹き」(昔のたばこ盆に用いる灰入れの筒)が有名だったそう。
この柴屋寺のお茶会に、師匠に連れられて出かけることがありました。幼いうちから茶道をお稽古していた私が和服姿のお姉さん方の中で、セーラー服姿が目立っていたことから、皆様に可愛がってもらえたことは、とてもラッキーなことでした。
大きくなるに従って枯山水の庭の美しさや、その借景の意味も覚えました。茶道を通じて本当に多くのことを知りました。
この吐月峰の近くに梅園があります。私の人生初めての「梅園」がこの丸子宿の梅園でした。
それまで梅の色の違いしか知らない中学生の私が、梅園で梅の香りを知り、その種類の多さに驚いたことを覚えています。その後も成長するにつれて、熱海の梅園などにも足繁く通って楽しんできました。
成人すると、花見の後は美味しい食事を楽しみたいということで、いろいろなお店で楽しむことも知りました。
この丸子は「自然薯のとろろ汁」が有名で、沢山の「とろろ汁」屋が並びます。この東海道丸子宿は安倍川の手前の宿で、多くの観光客で賑わう場所です。
この中の一軒、「待月楼」は会席料理や珍しい茶事結婚式なども催している老舗料亭です。
私は30年程前、「待月楼」でその後の人生の楽しみになる、あるものと出会いました。それは「瓢型」の徳利です。今でもその楽しみは続いています。
瓢型はご存知の通り、胴の部分がくびれています。徳利を傾けると、その口から底へ空気が移動する時に、くびれ部分で空気が一旦留まり、その空気が後ろへ動く時に器を叩く音がします。
「待月楼」の瓢徳利は小ぶりの白色の薄手でした。もしかしたら白磁だったのかも知れませんが・・
コトコト・・トコトコ~♪
その音の可愛いこと!私は一変に虜になってしまったのです。
その後、巡り会った瓢型の徳利は数知れませんが、どのような瓢型でも音が出るかと言えばそうではないことを、失敗しながら学びました。
私の経験から、良い音を出すためには、以下の三点かなと思っています。
①焼き物の種類が大きく作用するらしい。 厚く、土気が多い自然釉の焼物より、薄手で釉薬がかかった固いものの方が澄んだ音がする。
②胴のくびれも深ければ良いというものでもなく、逆にくびれが浅いと音は出ない。
③注ぎ方も大事で、ゆっくり傾けること。
気分で選ぶ盃も楽しさの一つ。
盃の選び方にも好みや性質が現れるような気がします。
昨日の選択は、夫は縦型の中国文人柄、私は静岡県森町窯元の赤焼き。
皆様、酒器の愉しみはいかがでしょうか?
人も一動物ですが、人間にだけ与えられた愉しみといえるのは、音楽、文学、芸術です。ですが、私はそれに酒と料理も加わるのではないかと思います。
酒は「百薬の長」。
でも「過ぎたるは及ばざるがごとし」。ほどほどに愉しんで参りましょう!