11月13日に京都府織物・機械金属振興センター、旧川嶋酒造蔵、与謝野町ちりめん街道へ商工会支部で視察に出かけた。
私にとっては丹後は初めての土地だったこともあり、充実した時間と興味津々の一日。男性十人、女性四人の視察、コンパクトで良かった。
丹後地方では奈良時代の貢ぎ物として「あしぎぬ」が正倉院に残っているとのことだが、それは「ちりめん」ではない。現在の「丹後ちりめん」は、今から300年前の1720の「絹屋佐平治」によるちりめん技法の発見からである。
ちりめん技法が丹後に根付いた条件は、山陰の多湿な気候がちりめんの横糸である強撚糸の製造に適していたことや、織機の製造に関わる機大工がいたことなどが幸いしたらしい。
何でも「条件作り」が大事なんですね。
この施設は丹後・知恵のものづくりパーク内にあって、すばらしい施設だった。
担当の方が詳細な説明をしてくださり、もと和裁技能士だった私は興味津々で、時間が瞬く間に過ぎたような気がした。
担当者は質問に気軽に答えてくださったが、日本国内のほとんどの絹糸は中国やベトナム産と聞いて、ガッカリしたのはなぜなのだろう。
昨今は和裁技能士の人材不足と、人件費節減のために仕立てを東南アジアへ出していることが事実としてある。以前から私はこのことをとても残念に思っていて、日本文化や日本の民族衣装を海外の人の手に委ねるなんて、なんて情けないのだろうと思う。営利目的が先行すると伝統も一歩引かなくてはならないのかな。
「特許はとれないのか?」と聞くと、担当者は「もう海外に技術を出して長い。もう取ることは出来ないだろう・・」とのことでしたが、「技術は真似できても、中国などは量産が目的で、日本人のような丁寧な加工はしないから、ろくな反物ではないですよ。」とおっしゃった。
もしそうなら丹後の地で付加価値をつけること、例えば丹後で織った「丹後の草木染めちりめん」とか、撚糸の圧が多くて一反の重さを決めたズシリと重いちりめんとか・・
日本の丹後ちりめんにしかできない何かがあればロイヤリティーが取れるのでは??な~んて妄想しながら、施設を後にした。
京都府北部、与謝野町加悦伝統的建造物群保存地区、通称ちりめん街道は明治から大正昭和の古い街並みが残り丹後ちりめんで栄えた隆盛を残している。
そのなかでひときわ大きな建物が旧川嶋酒造蔵で、レンタルスペース、コミュニティスペースとして役割をになっているとのこと。
入口にかけた大きな杉玉が私たちを迎えてくれた。中はヒンヤリとした土間の空間で、着物の日、ひな祭り、ライブ、ビーガンスウィーツのサロンなど様々なイベントに活用しているとのこと。なんて素晴らしい活動でしょう!
説明をしてくださった方は地元の商工会女性部のお二人で、パワフルなお話ぶりに圧倒!パワーポイントの説明をしてくださった方は、住職の奥様でご本人も僧籍をお持ちの方とお聞きした。
事を成すには、シンボル的拠点と皆から支持される気骨のあるリーダーが必須条件かも・・
この日のガイドは二人の男性。
ご本人もご実家が地元の機織り家の男性がポイントを抑えて、すばらしい解説と案内をしてくださった。その法被姿も良かった。
旧加悦町役場庁舎、井筒屋旅館、旧尾藤家住宅、下村家住宅、丸中、天満神社、杉本家住宅、旧伊藤医院診療所、西山工場母家(ちりめん始祖)、旧川嶋酒造蔵
ちりめん街道は主に上記の伝統的建物群を指すようですが、このほかにも歴史を感じさせる街並みが多くある。
また家々の玄関に同じ暖簾がかけられていて、この街全体でちりめん街道を守り保存し、住み続けていくという気概が感じられた。
この視察はいろいろと考えるヒントがあった。
私が住む街、丹波市はどうだろうか?丹波市に住む人の、その街への思いは熱いか?
①条件作り、②シンボル的拠点、③支持されるリーダー、④周囲の思い、それらはあるのか。
他を真似することはいらない。丹波人の考え方で進めばいい。でも「素直さ」と「和」がなければ何も達成はしないことは事実だ。
そして最後に、女性四人が食べたものは、コレ! 視察、楽しかった~♫