これからの秋冬の季節は、センチメンタルな気分が起こるのは私だけではないでしょう。「旅」への誘いも秋が多いように感じます。
ここ丹波も9月ともなれば、朝夕の風に涼秋を感じ、虫の音も一層澄んできます。
JR柏原駅近くの我が家では、踏切のカンカンという音や、列車が線路を鳴らすガタンゴトンという響きが風に乗って微かに聞こえます。
そんな時、何ともなしに家事の手が止まる私。いつか車中の人となって知らない土地へ旅をしてみたいと思うのです。
列車が過ぎるガタンゴトンが徐々に遠くになっていくと、記憶の中の引き出しからスルッと出てくるのが、この歌。
「遠くへ行きたい」 永六輔:作詞 中村八大:作曲
知らない街を 歩いてみたい どこか遠くへ 行きたい
知らない海を ながめてみたい どこか遠くへ 行きたい
遠い街 遠い海 夢はるか 一人旅
この歌曲は多くの歌手が歌っているので、ご存じの方も多いでしょう。昭和に流行った歌ですが、この歌詞の内容と気だるいフレーズが未成年の私には新鮮で、まだ知らない様々なものへの憧れと一緒に、大人になることへの不安な気分をそのメロディから感じたものでした。
当時のなんとも表現しにくい不安定な気持ちと相まって、忘れられない一曲です。
還暦を迎えた私は、94歳になる故郷の母を思わない日はありません。
プロフィールの通り、山口県に生まれ静岡県で育った私が、縁あって丹波市生まれの夫へ嫁ぎ、11年前に阪神間から丹波市へ転入しました。
実家を遠く離れた淋しさから、「あの長い線路の先には母がいるのだ・・」と、ガタンゴトンが遠くなるまで、じっと聞き入ることもあるのです。
そんな時なんとなく、「思えば遠くへ来たもんだ」のフレーズが頭をよぎります。
「思えば遠くへ 来たもんだ」 武田鉄矢:作詞 山本康世:作曲
踏切の側に咲く コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく
十四の頃の僕は いつも冷たいレールに 耳をあて・・・
・・・
(2番へ)
筑後の流れに 小鮒釣りする 人の影
川面ひとつ浮かんでた 風が吹くたび 揺れていた
・・・
思えば遠くへ来たもんだ 振り向くたびに故郷は
思えば遠くへ来たもんだ 遠くなるような気がします
思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら
この歌曲は海援隊の歌ですが、武田鉄矢の作詞には彼の優しい感性が溢れていますし、特に最後のフレーズは私の気分そのもの。
九州から上京してきた海援隊の、故郷への思慕は、私の感慨と合い通じると思っています。
世間にはこのような感情を抱えて日々を過ごす方々は、きっと多いはずですね。そう思うと、生まれ育った土地で一生を終える人は、意外と少ないのではないでしょうか?
それが幸せかどうかはその人の価値観で違いますが・・。
令和元年5月1日、丹波市柏原町に「旅愁」の歌碑が建立されました。「旅愁」は明治の晩年大ヒットし、名曲として皆様に歌い継がれていますね。
原作者はアメリカの音楽家ジョン・P・オードウェイ(1824-1880)。原曲の「Dreaming of Home and Mother」は、アメリカではほとんど忘れられてしまったようですが、その曲に「旅愁」という曲名で犬童球渓(いんどう きゅうけい)が作詞しました。
「旅 愁」 J・P・Ordway:作曲 犬童球渓:作詞
更けゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む
恋しやふるさと なつかし父母 夢路にたどるは 故郷の家路
更けゆく秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む
・・・2番につづく
(「”旅愁”歌碑の落成に思う」高校15回卒業、進藤凱紀氏文書を参考)
犬童球渓は明治12年(1879年。131年前)に九州人吉の農家の二男坊として、生まれています。貧乏だったので農業や代用教員をした後、熊本県の奨学金で東京音楽学校(現在の東京芸大)に入学しました。
明治38年(1905年。114年前)に卒業した時に、旧制柏原中学校三代目の校長、平沢金之助が出向いてきて「是非うちの学校に来てほしい」と頼んだそうです。
平沢校長は、日露戦争で荒れる生徒の心を和らげ情操教育に役立てようと球渓を招いたのですが、当時は「音楽は軟弱な女子のするもの」と考えられていた時代で、生徒たちは球渓の授業が始まると、ヤジを飛ばし、口笛を吹き、机を叩いたりして妨害し、それが毎日続いたため授業どころではなくなり、内気な性格だった球渓は心身共にむしばまれていきました。
2番の歌詞
窓うつ嵐に 夢も破れ 遙けきかなたに 心まよう
恋しやふるさと なつかし父母 思いに浮かぶは 杜のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ 遙けきかなたに 心まよう
当時、球渓は柏原藩の儒学者、小島省齋の塾だった建物(八幡宮の鳥居前にあった。現在「かいばら観光案内所」)に下宿し、悶々とした日々を送ったと言われています。
その頃に新潟県立新潟高等女学校(現、県立新潟中央高校)の校長から「うちは女子校だからひどいことはしませんので、ぜひ来てほしい」と依頼され、球渓は、柏原中学には8ヶ月いただけで新潟に移り、その後、明治40年(1907年)、アメリカのオードウェイが作った曲に詩を付けた「旅愁」を発表しました。
苦悩に明け暮れた柏原中学校時代を思いながら作った詞だと言われています。大ヒットの陰には球渓の辛い経験が隠されていることを、私は初めて知りました。
歌詞の1番 「更けゆく秋の夜、旅の空のわびしき思いにひとり悩む」、2番の「窓うつ嵐に夢もやぶれ」、「杜のこずえ」に球渓の当時の心境が滲みます。
球渓は、オードウェイの哀愁ある旋律に触発されて、辛い柏原町時代の経験を思い起こしたのでしょうね。
当時の荒れていた世相を鑑みれば、やむを得ないのかも知れませんが、現在この柏原町に住まいする私としては、教師に対しての暴言はとても残念に思います。
さて、新しい時代、令和がスタートしたこの5月1日に、「旅愁」の歌碑が建立されました。
建立には柏原高校の元教師であった進藤凱紀(しんどうがいき)氏の崇高な願いがありました。その思いが多くの人たちの心をとらえ、建立の実行委員会が立ち上がります。その結果多くの方々の寄付で建立されました。
場所は柏原高校前のたんば黎明館(旧柏原高等女学校校舎)の向かいです。
歌碑横のボタンを押すと地元の「童謡唱歌コーラスグループ」による歌声で「旅愁」が流れます。
きっと球渓が歩いたであろうこの道沿いに、この歌曲が流れる景色を球渓は想像だにしていなかったでしょう。そう思うと私は胸が熱くなります。
当事者の球渓は、柏原の地に8ヶ月しか居ませんでした。
しかし、この歌碑が未来永劫この地に残ることで、球渓を悩ませてしまった旧柏原中学校生徒たちの言動への謝罪と、名曲を作詞してくださった感謝の思いを、少しでも形にすることが出来たのではないかと、この建立から私は感じているのです。
「旅愁」には後日談があります。
李叔同(弘一法師 1880-1942年)が日本留学から帰国後に「旅愁」をもとにアレンジした「惜別」を1920年代に出しています。
これは中国の映画「城南旧事」で使われたらしく、外国のメロディに中国古典の歌詞を組み合わせて、今でも人々の心を動かし指示されているとか。
李叔同が留学中に球渓の名訳を耳にしていなかったら、「送別」は生まれていなかっただろうと言われます。
「惜別」は漢詩でよく詠まれる別れの世界観を表しています。
「惜 別」 J・P・Ordway:作曲 李叔同:作詞
(道の)駅の外れ、古びた道
匂い立つように萌える草の緑が地平線まで続いている
夕暮れの風に柳の枝がそよぎ、笛の音もかすかに鳴る
夕日が山の向こうに山に沈む
天の果て、地の果てに
散り散りになった友人たちは半分零落してしまった
せめていっぱいの濁り酒で楽しみを尽くすこととしよう
今宵は別れの夢を見て寒々となりそうだが
(零落:元々は草木や花が枯れ落ちる意味。転じて、人が亡くなること。)
球渓の叙情は中国人の心をも刺激したのですね。
丹波は農作物の宝庫です。美味しいモノがいっぱいです。
丹波国を守る山々の額縁は、緑色から徐々に紅葉していきますよ。
皆様どうぞ、歌碑のメロディボタンをポチッと押してくださいませ。
そうすれば丹波の風の中で、旅愁を感じるはずです。
記事、興味深く読ませていただきました。
私は20年以上前、熊本のテレビ局にいた時、犬童球渓の番組を作り、そちらにも取材でお邪魔しました。早速ですが、今回建立された歌碑の裏側に何と書いてあるのか知りたいと思います。ぶしつけで大変申し訳ありませんが、全文、メールで送っていただきませんか。
本来なら、正式なお願い文書をお出しすべきでしょうが、コロナ騒ぎでそれもかなわず、失礼いたします。
福岡市博多区東比恵4-3-14-602 79歳男。092-473-9212
石本様
コメントありがとうございました。犬童球渓の、旅愁歌碑の画像をお送り致しました。
福岡市は懐かしい土地です。嬉しく思いました。
犬童球渓碑の件、ぶしつけな厚かましいお願いだったにもかかわらず、その日のうちに快く聞いていただき、本当にありがとうございます。
メールで送っていただいた碑文きれいに読めます。当時の事情がよくわかります。球渓もこんなに大事にしていただき、喜んでいることと思います。私は長崎で発行されている同人誌に球渓について下手なエッセーを書いています。何かありましたら、またご協力
ください。
石元義正
石本様
犬童球渓歌碑。碑文の写真を喜んで頂けて、何よりです。
長崎には私の父方祖母の実家があるそうです。(すでに名前も知るよしもありませんが・・)
長崎の同人誌に寄稿されている旨、何となく(自分勝手に)縁を感じています。
ご連絡を頂きありがとう存じました。